山野行路人

山野を巡る比企の野人です
善光寺街道:桑原宿

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善光寺街道を猿ヶ馬場峠を越えて麻績宿(おみじゅく)から桑原宿にやってきた。桑原宿は猿ヶ馬場峠の東側麓の宿場町で宿の西外れ近くに古刹「開眼寺」古い酒造所「和田家」があり、こちらに寄ってみた。宿の名は「くわばら くわばら」の由来となったという説がある。即ち、雷の子を寺の住職が二度と雷を落とさぬと約束させて助けたとの伝説がある由。

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猿ヶ馬場峠を越えて下り立った桑原宿西の入口。写真では道の前方が峠方面。

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宿の西出入り口は鉤の手になっており典型的な宿の形。右写真は善光寺に向かう宿場。

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同じく宿の西の外れ         宿の中央部へ向かう宿場道

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西側から宿に入ると右に「開眼寺」という古刹を見る。当寺は慶安4年(1651)開創。右写真の本堂は元禄4年(1691)建立

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住職の後ろに立つ三体の仏像は1m余の木像一本造で江戸初期のものと推察される由。右写真の龍の絵は建仁寺、建長寺の龍の天井画を描いた小泉淳作氏の手によるもの。

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さらに宿を先に進むと右手に「酒造所:和田家」が見えてくる。信濃の御家人の末裔 和田氏が酒造業を興し江戸期には苗字帯刀を許されるほどの名家で佐久間象山、伊藤博文、東郷平八郎らと親交が深かったという。

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銘酒、姥捨政宗他観月、風神雷神を販売する。前庭には老松「七曲の松」があり(右写真)善光寺道名所図会(天保14年)に紹介されている由。

 

 

 

 

歴史・文化財散策 | 15:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
善光寺街道:麻績宿

JUGEMテーマ:趣味

2018年7月:中山道洗馬宿から分離して松本を経て善光寺に至る「善光寺街道(北国西街道又は北国西往還ともいう)」の麻績宿を歩いた。麻績宿(おみしゅく)は東西710mの宿場で東西両端には道を鉤の手に曲げ中心部を見せないようにし出入り口には口留番所が置かれ出入りの監視をしていた。道中央には用水が流れ、町中心部には高札場、問屋、本陣が置かれ、大小の旅籠屋が29軒あった。脇往還であったため脇本陣は置かれなかった。では宿場を西から東へ歩いてみよう。

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青柳宿から来る西の入口に「麻績宿」の石碑が立つ。

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街道は青柳宿から麻績宿に至り、写真の赤線の道を往き、猿ヶ馬場峠を経て次の桑原宿へと向かう。

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麻績宿詳細図

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麻績宿古地図:弘化4年(1847)頃。(前地図とは東西が逆になっている)

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宿に入って直ぐに後に本陣となった瀬戸屋本陣(臼井瀬戸屋)がある。右写真赤丸内のように昔からの袖(?)看板が残る。

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宿に入って直ぐに山の方に向かうと信濃札所第一番の「法善寺」がある。

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左右に古民家を見ながら宿場を東に進む。

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宿場中央部左手に最初からの本陣である「臼井家中橋」がある。右写真は高札場跡の碑(写真右端)。

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東のはずれに近ずくと「口留番所跡」の標識を見る。ここを左に入ると「海善寺」(右写真)に出る。

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ここは東の出入り口で宿場の出入りを監視する番所があり、また「是よ利 ひた里 せんかう寺道」と書かれた天和2年の道標や「左せんかう寺道 右うゑた道」の道標(右写真)を見る。

歴史・文化財散策 | 16:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
群馬県庁舎

JUGEMテーマ:日記・一般

関越自動車道を埼玉方面から長野方面に向かって走ると藤岡JCT辺りから右手に一際高いビルを見るがこれが群馬県人が誇る32階に展望ホールをもつ群馬県庁舎だ。関東平野の北のはずれ、周囲に高い建物が無いため特に目立つ。庁舎のパンフには”群馬のランドマーク”と記されている。(念のため、私は群馬県人ではありません)。

1庁舎の建つ場所は前橋城があったところで昭和3年に建てられた昭和庁舎(国の登録文化財)に併設されて平成11年に建設された。地上127m、32階の展望ホールからは雄大な関東平野が一望される。

 

 


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県庁前広場にはグンマちゃんがお出迎え(左写真)。庁舎の向かいにはこれまた趣ある昭和5年建設のルネッサンス様式の群馬会館が建つ(右写真)。県最古の公会堂で国の登録有形文化財。今も各種イベント等に利用されている。

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昭和庁舎は昭和3年に建設され70年以上県庁として県民に親しまれてきた。昭和初期の典型的洋風建造物地下1階、地上3階建て。右写真はその内部でレトロな感を醸し出している。

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地上127m、32階の展望ホールからは眼下に利根川の流れと前橋の市街地が望まれる。今日は見えていなかったが遠く上毛三山(赤城、榛名、妙義山)、浅間山、谷川岳などの上越の山々が一望される。

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旧前橋城跡地は市民の憩いの場所として公園も設置され、先に見学した臨江閣も望めた(右写真)。

その他 | 15:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
臨江閣:群馬前橋

JUGEMテーマ:旅行

2018.5.8:臨江閣は明治17年、当時の群馬県令 楫取素彦提言により建設された迎賓館で本館、茶室は県指定の重要文化財、別館は前橋市指定の重要文化財となっている。利根川に面し、妙義山や浅間山などの名山を遠望する地に建つ。

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南面に美しい日本庭園を持つ迎賓館であった。建物は別館で左の木立に見え隠れするのが本館。

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本館は明治17年に県令であった楫取素彦の提言で建設された。明治26年の明治天皇行幸時に行在所に利用された。明治35年、41年には大正天皇(当時皇太子)が御滞在するなど多くの皇族方が滞在されている。

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本館の玄関。            和室:一の間

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本館廊下と前庭:当時はガラス戸でなく雨戸であったらしい。右写真は本館と奥に別館を見る。

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別館正面:明治43年に貴賓館として建設された。建築用材として中山道安中宿の杉並木の巨木の払い下げを受け大屋根を支えている。

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左写真:1階の日本間、手前から三の間、二の間、奥に一の間。右写真は2階の180畳の大広間。

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左写真:本館西側に本館と同時に建てられた県の重文である茶室がある。平成20年、楫取素彦の号である「畊堂庵」と席名が付けられた。右写真は別館2階から望んだ日本庭園。

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日本庭園は大変美しいので散策に最適。

歴史・文化財散策 | 15:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
国史跡:観音塚古墳(群馬県)

JUGEMテーマ:趣味

群馬県高崎市八幡町に観音塚古墳を訪ねた。6世紀末から7世紀初期築造の前方後円墳で前方部の幅、高さが後円部より大きい前方後円墳末期の特徴を示す。

0墳丘高さは現状105mで周囲に堀を巡らす。後円部南側に横穴式石室があり10畳大の巨石を組み上げた巨石石室を造っている。戦時中、防空壕掘削時に多量の副葬品が出土(銅製容器、鏡、装身具、武器、武具、馬具、須恵器など30種300点ほど)出土品は観音塚考古資料館に展示されている。

 

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古墳後円部             後円部南側に石室

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両袖式横穴式石室 玄室は巨石で組上げられている。全長15.3m、玄室長さ7.1m、幅3.4m、高さ2.8m。

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墳丘部頂上。

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古墳近く観音塚考古資料館があり、出土品が展示されている。

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歴史・文化財散策 | 15:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
お富士山古墳

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2018年5月:群馬県伊勢崎市に「お富士山古墳」を訪ねた。この古墳は全長125mの前方後円墳で3段に造られ、周囲には盾形の周濠が掘られている。築造は5世紀中ごろと推定されている。埋葬物として畿内地方の大王墓と同様形態の県指定重要文化財の「長持型石棺」が埋設されている。古墳大きさは前方部幅83、2m、高さ5.5m、後円部幅77.2m、高さ9.5m。

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長持型石棺:底石、側石、小口石で箱形を作り、かまぼこ型の蓋石と合わせ6枚で構成された衣服を入れた長持に似ている。

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古墳後円部墳頂には富士神社が祀られている。

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富士神社             神社脇に設置されている石棺。

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石棺は長さ285cm、幅121cm、高さ115cm、重量6.8t、脇に石棺蓋を思わせる石が無造作に置かれている。

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墳頂部から前方部を見る。右写真は逆に前方部から神社のある後円部を見る。

歴史・文化財散策 | 15:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
岩宿遺跡

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2018年5月8日:群馬県みどり市に岩宿遺跡を訪ねた。時に1946年のこと、地元の考古学研究者である相沢忠洋氏がここ稲荷山と琴平山の間の切通しの崖の関東ローム層の赤土の中から長さ3cm、幅1cmほどの石斧を発見した。関東ローム層は1万年前より古い時代の火山噴火で堆積した火山灰でこの時期は人の住める環境ではないとされていた。その後の明治大学考古学研究室の発掘調査でで多数の石器が発見され、この時代にも旧石器時代の文化が存在することが明らかとなった。という大変重要な国指定史跡である。

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今は舗装された稲荷山と琴平山の間の切通し部に証を示す「岩宿遺跡」の碑が立つ。こちら側は稲荷山側で遺跡B地点と呼ぶ。

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岩宿遺跡周辺部の案内図。

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岩宿遺跡の碑。右写真は最初の発見をした相沢氏の胸像で発見した小さい石斧を持って眺めている姿の胸像。

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切通しの稲荷山側(遺跡A地点で相沢氏が最初に発見した地点)の地下に岩宿ドームと呼ばれる「岩宿遺跡遺構保護観察施設」がありB地点の実際の地層がそのものズバリと見ることができる。

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近くには「岩宿博物館」があり、岩宿時代(このように呼ばれるらしい)の豊富な資料が展示されている。

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展示されている岩宿遺跡で発見された石器類。右はマンモス象の全身骨格複製模型。
 

歴史・文化財散策 | 16:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
古河 雀神社

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茨城県古河市の裏道(宮前町)を通過中に「雀神社」という変わった名の神社を見たので立ち寄ってみた。雀の名は「鎮める」がなまったとかこの辺りを「雀が原」といったからともいわれているらしい。歴史は古く清和天皇の貞観元(859)に出雲大社より勧請されたという古社で社殿は市の文化財に指定されている。立地は渡良瀬川堤防際にあり渡良瀬遊水地が隣接する地に建つ。

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社殿は慶長10年(1605)古河城主の松平康長が造営したもので流造銅板葺、桃山期の特徴がみられ、当地方有数の古建築で市の文化財に指定。

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古河の総鎮守で境内は森閑とした森に囲まれている。鳥居には「正一位雀大明神」の額が掲げられている。

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神社入口には御神木の大欅の巨木が立つ(写真左側の木)。2本の木が寄り添い「夫婦欅」と呼ばれていたが火災で片方が枯れてしまっている。市指定の天然記念物で根元周囲18m、樹高25m。

歴史・文化財散策 | 16:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
古河城址:茨城県古河市

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2017年11月:古河城址(茨城県古河市)を訪ねた。古河城は下総國(古河市)渡良瀬川東岸にあったが、今はほとんど痕跡は残されていない。中世、近世にはこの地は渡良瀬川による江戸を結ぶ河川交通の重要拠点であった。近代になり大規模な河川工事で城跡は跡形なく破壊されてしまったため、建造物は勿論のこと、本丸や各曲輪、堀など殆ど残っておらず残念なことである。

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城跡の一角に「追手門跡」の碑がポツンと立っているが痕跡は何もない。

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旧日光街道沿い西側に城はあった。古河城は古くは平安末期に築かれたが室町後期以降、享徳4年(1455)には古河公方の本拠地となった。江戸期には徳川の東北にらみで城主は幕府の要職を務めること多く大老土井利勝、堀田正俊等々が城主となった。今は追手門跡は何もなく本丸なども渡良瀬川近くにあったらしいが元はあった本丸跡の看板も今はないらしい。

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左写真:旧日光街道を歩くと「御茶屋口跡」の案内を見る。古河城は将軍が日光社参の折りに岩槻城(さいたま市)の次に宿泊する宿城とされ、日光街道沿いのここ御茶屋口から入城したお成りの入り口である。将軍はここから古河城御成門に向かった。右写真は住宅街の一隅にひっそりと立つ「追手門跡」の碑。この追手門へは堀に架かる橋を渡って入る枡形門であったらしい。

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唯一、遺跡と言えば古河歴史博物館の東側に残った「出城諏訪曲輪跡」といったところ(右写真)。

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近くにある正定寺には最もかかわりの深い城主であった初代土井利勝をはじめとする土井家の墓がある。右写真は寺内にある土井利勝の像。

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土井利勝の墓と土井家の墓。

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墓所正面にある宝篋印塔は土井利勝の夫妻のもの。右写真は旧土井家江戸下屋敷の表門(薬医門:通称黒門)で東京本郷から当寺に移築したもの。

歴史・文化財散策 | 16:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
岩櫃城址(群馬県)を歩く

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2018年5月26日:2016年、NHK大河ドラマ「真田丸」にて注目を浴びた「岩櫃城址」(群馬県東吾妻町)を訪ねた。この城は岩櫃山(標高803m)の東面中腹に築かれた中世の山城で岩山である頂上から200mほど下がった場所(標高593m)に本丸、二の丸、中城があり、南側は切沢の谷、南東側は山斜面を壁とし、吾妻川を堀とし北側は不動沢にて防御としている。当然、西側は岩櫃山の岩稜に守られ敵を寄せ付けない天然の要害の地に築城されている。

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本丸跡には建物の土台と思われる形跡が残っており見張り台などがあったと思われる。岩櫃城は14世紀南北朝の頃に築城され、永禄6年(1563)武田信玄の命で真田幸隆が攻略、三男昌幸、昌幸長男信幸と支配。後信幸は沼田城主となり岩櫃城は沼田の史城となる。関ケ原の戦い以後家康の一国一城令により廃城となる。

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城跡巡りは一般的には平沢登山口にある駐車場に車を止め、少し歩いた先にある観光案内所で情報を得て、尾根通りから本丸跡へ登り、帰りは沢通りから戻る周遊コースを辿るとよい。本丸跡からそのまま登っていくと岩櫃山の頂上に至る。

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国道145号から見た岩櫃山。     観光案内所の所にある「天狗丸跡」

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天狗丸跡から見た岩櫃山岩峰(写真左端)この東側に城跡中心部がある。

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岩櫃城概念模型。西側は岩櫃山の岩稜に、南は吾妻川に守られている。

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岩櫃山登山口が本丸への登山口となる。すぐ先で尾根道と沢道の分岐に出るが左に尾根道を進むとすぐに「中城跡」に出る(右写真)。

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中城跡から本丸跡への標識に従い登っていくと本丸下の空堀跡に出る(右写真)。

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本丸下空堀跡を左に見て進むと本丸と空堀を隔てて右に「二の丸跡」がある。

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二の丸跡から階段を登れば「本丸跡」に出る。

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岩櫃城本丸跡。

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二の丸側からと南枡形虎口から本丸へ至る通路であり本丸の南面を守る「腰曲輪跡」。

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「本丸南枡形虎口跡」         「本丸北枡形虎口跡」

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本丸西北の「一の木戸跡」       「水曲輪跡」

歴史・文化財散策 | 16:28 | comments(0) | trackbacks(0) |



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