山野行路人

山野を巡る比企の野人です
檜原城址(檜原城山)に登る

JUGEMテーマ:趣味

2017年11月15日:東京都檜原村、東京都の史跡に指定されている檜原城址のある檜原城山(標高449m)に登った。ここ檜原城址は都内に残る中世城郭の中でも学術的価値が高いと評価されている由。登り口から高低差183mを登るのだが頂上近くは垂直な崖を登るような急峻な登りが待っており標高の割には手ごわい山登りとなる。登山ルートは吉祥寺というお寺の裏から十三仏巡拝路を辿って山城の山頂を目指すことになる。山登りには多少自身のある小生は15分で登ったが一般的は30〜40分ほど要すると思われる。

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前方右のピークが檜原城山(449m)左奥のピークは城ヶ峰。左手の建物は城主の末裔を名乗る旧名主、庄屋であった吉野家。

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登山口となる吉祥寺本堂。      本堂脇の六地蔵の脇を通って行く。

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本堂の裏手に廻ると十三仏巡拝路のゲートをくぐる。高台となり境内全体と周囲が眺められる。

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十三仏最初に現れる一番不動明王。右は二番釈迦大仏。以下三番文殊菩薩、四番普賢菩薩を経て五番へ。

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五番地蔵菩薩。続いて弥勒菩薩、薬師如来を経て右写真は八番吉祥観音。登山道は歩く人が少ないため荒れており獣道のような危うい道が続く。特に八番辺りから道は急坂となる。

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九番勢至菩薩(左写真)、十番阿弥陀如来、ここからさらに急坂となり木の根にすがって登る。十一番阿閦如来、十二番大日如来そして十三番虚空蔵菩薩(右写真)に出るがその手前に小びろい二の丸跡がある

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二の丸跡(本郭、主郭):城の説明板が立つ。後北条後期の築城と考えられ、天正18年(1590)豊臣秀吉の関東侵攻時に落城。城跡は主郭を中心に南北に伸びる尾根を堀切で区切った小規模な郭からなっていた。と説明されている。

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桧原城山山頂(449m)。ごく小さい平地で地蔵堂がある南郭(本丸跡)。急峻で要害堅固な山城の雰囲気が残る。元来た道を戻るが下りも大変で一歩一歩十分注意して下らなければならない。

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下山後、バス停近くにある江戸時代甲州中道(甲州街道と甲州裏街道(青梅街道)の中間道)を監視していた武州檜原村口留番所跡の復元木戸(左写真)を見に行く。その傍には岩舟地蔵尊が建つ。檜原城最後の城主の妹姫が信仰していた念持物だという。

歴史・文化財散策 | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
2018年初日

JUGEMテーマ:大晦日/お正月

2018年の初日はほとんど雲もなく素晴らしい初日の出を拝することができました。今年も平和な一年であるように祈念します。

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素晴らしい初日でした。

3朝焼けの富士も美しく輝いていました。
 

ウォーク日記 | 17:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
会津藩主墓所:土津神社

JUGEMテーマ:旅行

2017年11月18日:国指定史跡「会津藩主松平家墓所」のある土津神社へ2度目の参拝をした。当神社は会津松平家祖で徳川2代将軍秀忠の四子、3代将軍家光の弟、保科正之公を祭神とする。寛文11年(1671)正之公は霊号を「土津」と奉られた。

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福島県猪苗代町字見禰山に眠る保科正之公。

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土津神社はかつては荘厳壮麗であったが戊辰戦争で消失、現在の社殿は明治13年に造営された。

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土津霊神の碑:保科正之公の履歴を刻んだ石碑で高さ1丈8尺、幅6尺、厚み5尺ほどの大きさで神社の碑石としては日本最大。土台の亀石は松平家の繁栄を祈願したものと説明文に記されている。

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神社の右手の道を7分ほど登っていくと見禰山に眠る保科正之公の墓所に至る。公は寛文12年(1672)死去。棺の個所に円墳を築き、頂上に「土津神墳鎮石」と刻んだ八角形の鎮石を建てている。

歴史・文化財散策 | 13:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
会津・旧滝沢本陣2017

JUGEMテーマ:旅行

2017年11月17日:戊辰戦争時に会津藩の本陣となった史跡「旧滝沢本陣」を訪ねた。本陣前の道路は若松城下から白虎隊が戦った戸の口原を通り白河、江戸方面へ通づる旧白河街道である。そもそもここは参勤交代や殿様の巡視時に休息所として使用されていた。戊辰戦争時には本陣となり、白虎隊もここから出陣して行った。

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旧白河街道側から見た滝沢本陣。

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主屋は延宝6年(1678年)築の茅葺で元は滝沢組郷頭、横山家住宅で座敷と共に国の重文指定。敷地は国の史跡。

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国重文指定の御座間。          土間

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柱には弾痕跡や刀傷が残り戊辰戦争時の激しさを物語っている。

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囲炉裏の間。              庭

歴史・文化財散策 | 15:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
会津飯盛山2017

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3度目の訪問になるだろうか、数年ぶりに会津飯盛山に白虎隊の慰霊に訪れた。

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飯盛山に自刃した白虎隊士の墓碑。

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白虎隊士の墓正面。右写真は隊士の墓の傍に立られた「会津藩殉難烈婦の碑」で1868年の戊辰戦争で自刃、戦死した婦女子230余名の霊を弔うため白虎隊士であった山川健次郎らによって建立された。

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白虎隊士自刃の地。

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自刃の地より会津若松城を見る。

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自刃の地には飯沼貞雄の碑も立つ。飯沼はただ一人自刃するも蘇生し後に我が国の通信事業に多大な貢献をした、また白虎隊の実録も残した。隊士の墓を後にし北側に山を下りると中腹にさざえ堂が建つ。

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さざえ堂の傍に白虎隊十九士の霊像を祀るお堂が建ち、白虎隊士自刃の図が掲げられている。

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さらに山を下ると会津盆地へ水を引く「戸の口堰洞窟」に出る。戊辰戦争時、白虎士中二番隊20名が戸の口原から敗走しもぐった洞窟でここから抜けて自刃の地へと向かった。

歴史・文化財散策 | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
会津さざえ堂2017

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会津飯盛山中腹にある「さざえ堂:旧正宗寺三匝堂を数年前訪問後、再度訪ねた。六稜三層形式向拝付鋼板葺き(元は木羽葺き)高さ16.5m。右回りに螺旋状のスロープを上り一番上の太鼓橋を渡り下りのスロープで出口に出る。建物内を3度廻るので三匝堂の名がある。寛政8年(1796)建立で国の重文。上り下りが別の通路になっており参拝者はすれ違うことなく参拝できる構造となっている。このような堂は埼玉県本庄市の百躰観音堂と群馬県太田市の曹源寺にもあり日本三さざえ堂となっている。

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さざえ堂全容。

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堂内入口。             螺旋状のスロープを上り下りする。

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登り途中、向こう側に下りのスロープが見える。


 

歴史・文化財散策 | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
会津鳥追観音:如法寺

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2017年11月17日:会津ころり観音の一寺であり「鳥追観音」とも呼ばれる金剛山 如法寺を参拝した。縁起によると天平8年行基が鳥獣被害の不作にあえぐ当地の農家に宿泊、行基は哀れみ聖観音像を授けたところ被害が亡くなった故をもって「鳥追観音」と称されるようになったという。平安期大同2年(807)徳一大師が当如法寺を建立。ころり観音は死病時に願う月日に観音様のお迎えがあると伝えるという。

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如法寺、鳥追観音の石標と山門(仁王門)。

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仁王門(大同2年:807年建立。江戸初期再建、県重文)をくぐれば観音堂。

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観音堂(東正面):大同2円(807)建立、江戸初期の建立で県重文。このお堂は東と西の両面に御拝口があり、堂は南向きに建てられている。東から入り本尊を拝し西方浄土の西から出る浄土信仰の寺、霊場として人々に信仰された。堂の構造は東西両拝口、三方開き、四方上り口という日本唯一の観音堂。

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本尊は正観世音菩薩で1200年前の平安初期のもので県重文。

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堂内。               観音堂西側正面。

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伝左甚五郎作という観音堂の彫刻(隠れ猿):鷹に襲われた猿:隠れ猿(右写真)。

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鷹は猿を見失い難を逃れた猿:難逃れ猿。丸くなって眠る猿:牡丹の花が開くがごとく幸運を招く。

歴史・文化財散策 | 17:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
恵隆寺:立木観音

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2017年11月18日:会津ころり三観音の一寺である恵隆寺(福島県会津坂下町)を参拝した。当寺の本尊は立木千手観音でも知られる古刹である。縁起によると本尊千手観音像は大同3年(808)弘法大師空海により立木のまま彫られた一本彫りで現在も床下に根があるという。像を安置する観音堂は建久元年(1190)建立と伝わる。

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立木千手観音を安置する観音堂:国重文に指定される茅葺寄棟造の和様建築、屋根棟に会津に特有の茅葺棟飾がある。

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堂内撮影不可故にご本尊立木千手観音像は当寺のパンフから抜粋させてもらった。本像は国重文に指定され、身の丈8.5mの大きさを誇り立木観音としては国内最大級という。今も床下に根があるとされる。私は日光中禅寺の立木観音も参拝しているがこちらの身の丈は6mであった。堂内は狭く大きな斗帳幕の裏側にご本尊はおられるため拝観には本尊の足元から見上げる形となりさらに大きく見える。同じように足元から見上げる奈良の長谷寺のご本尊を拝観した時を思い出した。なお眷属として二十八部衆と風神雷神も揃い合計30体の仏像衆は圧巻。

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簡素な佇まいの山門         山門の先に観音堂が見える。

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山門には仁王像が寺を守る。

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参道を真っ直ぐ進む。        黄葉の大イチョウと観音堂。

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境内にある三重塔模様の小金塔には大日如来安置。

歴史・文化財散策 | 12:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
会津大仏:願成寺

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2017年11月18日:会津大仏で知られる叶山 三宝院 願成寺(福島県喜多方市)を参拝した。嘉禄3年(1227)法然上人高弟の隆寛律師により開山。開基は隆寛律師真弟子実成房上人でこの地に寺院建立し会津大仏となる阿弥陀三尊をを造立したと説明文にある。

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阿弥陀三尊像(中央:会津大仏)

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願成寺入口には会津大仏の標柱が立つ。参道進めば山門。

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本堂の前に会津大仏が納まる大仏殿へ。

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会津大仏(阿弥陀三尊像):中央の阿弥陀如来は高さ241cm、千体仏をつけた舟形光背を背に座る。右に観音菩薩(128.5cm)、左に勢至菩薩(130cm)が控える。三尊共に寄木造りで鎌倉初期の作品という。

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願成寺本堂。

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本尊は阿弥陀如来。          千仏堂(旧阿弥陀堂)

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大仏殿前には心字池。         境内にある古墳

歴史・文化財散策 | 14:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
福満虚空蔵菩薩円蔵寺:会津柳津

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只見川河岸段丘の上に建つ福満虚空蔵菩薩円蔵寺(福島県柳津町)を訪ねた。茨城東海村、千葉小湊町と共に日本三虚空蔵のひとつに数えられるという福満虚空蔵菩薩円蔵寺は1200年の歴史を持つ。縁起によれば弘法大師空海が唐から霊木を授かり三つに分けて海に流したところ茨城、千葉とここ柳津町に流れ着いたという。大師はその木で虚空蔵菩薩を刻み、それを受けた徳一大師が大同2年(807)ここ円蔵寺を開創したと伝える。

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円蔵寺本堂(菊光堂):正月7日には奇祭「七日堂裸まいり」が行われる。堂手前左手には「「撫牛」が寝そべる。

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只見川河畔から石段を上れば仁王門に着く。

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御堂を守る仁王尊。

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本堂前にある「撫牛」は寺建立の難工事の際、赤牛が現れ  大きな働きをしたのでこの赤牛を祀ったことに由来する。会津の玩具の「赤ペコ」の由来ともいい、柳津町は赤ペコ発祥の地という。右写真は菊光堂内陣。

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堂は北側(裏側)も表と同様な作りとなっており北山門(右写真)をくぐってお参りできる。

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崖上に建てられた円蔵寺菊光堂前からは眼下に只見川と周辺の絶景が望める。手前が観月橋、赤い橋が国道252号が通る瑞光寺橋。

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只見川に削られた段丘の上に堂は建つ。その崖中腹には大日堂が建てられている。

歴史・文化財散策 | 15:31 | comments(0) | trackbacks(0) |



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