2006.04.25 Tuesday
昔の面影残す下野街道:大内宿
会津西街道(下野街道)に残る時代の流れに取り残されたように山あいにひっそりと佇む村:大内宿。「ひっそりと」と言ったが今は大型観光バスが次々と大勢の観光客を吐き出す状況ですっかり有名となってしまった大内宿。この宿は江戸時代の宿駅制度の中で作られた宿場の形態をよく残す町並みとして昭和56年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。この宿を通った街道が会津若松と今市とを結ぶ会津西街道(下野街道)である。かつては多くの旅人や大名行列もこの宿で旅の疲れを癒したのであろう。明治に入り国道(121号線)が今の会津鉄道に沿って開通するといつしか忘れられた村となってしまった。そして現代人が忘れかけた何かを求めるかもように数多くの観光客が全国から訪れるようになった。(撮影:2006年4月17日)

街道に沿って両側に茅葺屋根の民家が並ぶ大内宿の家並み。
道の両側には用水が流れる。各民家は今はお土産屋を営むが、国の補助も少なく、茅葺屋根の葺き替えには多額の費用がかかることからトタン屋根に変える家もあり、いつまでこの景観が続くのか懸念される。


大内宿の北外れ、下野街道は当時の面影を残して会津若松へと沢・山あいを縫って続いている。そこここには馬頭観音や地蔵様が立ち、街道筋の村外れには高倉宮以仁王を慕って会津に入った桜木姫が長旅の疲れから18歳で亡くなった姫の墓がある。
国指定史跡である下野街道は会津藩が重要道とした五街道のひとつで会津から今市までの17の宿駅、32里の街道であった。伊達政宗や豊臣秀吉等も歩いており江戸期には参勤交代の主街道として栄えた。幕末には吉田松蔭が帰路として又、戊辰戦争には西軍2000人が若松城へと向かったのもこの街道であったという。
道の両側には用水が流れる。各民家は今はお土産屋を営むが、国の補助も少なく、茅葺屋根の葺き替えには多額の費用がかかることからトタン屋根に変える家もあり、いつまでこの景観が続くのか懸念される。
大内宿の北外れ、下野街道は当時の面影を残して会津若松へと沢・山あいを縫って続いている。そこここには馬頭観音や地蔵様が立ち、街道筋の村外れには高倉宮以仁王を慕って会津に入った桜木姫が長旅の疲れから18歳で亡くなった姫の墓がある。
国指定史跡である下野街道は会津藩が重要道とした五街道のひとつで会津から今市までの17の宿駅、32里の街道であった。伊達政宗や豊臣秀吉等も歩いており江戸期には参勤交代の主街道として栄えた。幕末には吉田松蔭が帰路として又、戊辰戦争には西軍2000人が若松城へと向かったのもこの街道であったという。
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