2006.06.05 Monday
田山花袋と田舎教師=その2=
文豪:田山花袋の代表作である「田舎教師」の舞台となった埼玉県羽生市に主人公の青年教師のモデルとなった小林秀三の墓と教鞭をとった小学校跡を訪ねた。
田山花袋は明治37年義兄にあたる建福寺住職の太田玉茗を訪ね、秀三の日記に感銘を受け「田舎教師」を執筆した。作中では「成願寺」となっている。
=田舎教師像=
(弥勒小学校跡地に建つ)
彫刻家:法元六郎氏の昭和52年の作。「田舎教師」主人公の林清三のブロンズ像は当時の青年教師の姿を思わせるものがある。


左:弥勒高等小学校跡は往時の面影は全くなく、跡地には「田舎教師縁の地」の記念碑が建つのみ。
右:田舎教師のモデルとなった小林秀三の墓がある「建福寺」又ここは秀三が下宿した所でもある。


左:小林秀三の墓入口 右:小林秀三の墓
モデルとなった秀三は栃木県生まれで10歳の時に熊谷に転居。明治34年に弥勒高等小学校の代用教員となり1904年に亡くなるまで準教員としてここで教鞭をとった


左:小林秀三の墓碑
右:境内の建つ「田舎教師巡礼記念句碑」これは昭和14年に川端康成が横光利一らと羽生を訪ね、「山門に木瓜吹きあるる羽生かな」と詠んだ記念句碑である。
田山花袋は明治37年義兄にあたる建福寺住職の太田玉茗を訪ね、秀三の日記に感銘を受け「田舎教師」を執筆した。作中では「成願寺」となっている。
(弥勒小学校跡地に建つ)
彫刻家:法元六郎氏の昭和52年の作。「田舎教師」主人公の林清三のブロンズ像は当時の青年教師の姿を思わせるものがある。
左:弥勒高等小学校跡は往時の面影は全くなく、跡地には「田舎教師縁の地」の記念碑が建つのみ。
右:田舎教師のモデルとなった小林秀三の墓がある「建福寺」又ここは秀三が下宿した所でもある。
左:小林秀三の墓入口 右:小林秀三の墓
モデルとなった秀三は栃木県生まれで10歳の時に熊谷に転居。明治34年に弥勒高等小学校の代用教員となり1904年に亡くなるまで準教員としてここで教鞭をとった
左:小林秀三の墓碑
右:境内の建つ「田舎教師巡礼記念句碑」これは昭和14年に川端康成が横光利一らと羽生を訪ね、「山門に木瓜吹きあるる羽生かな」と詠んだ記念句碑である。
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